今回の記事は、以下の記事の補足のようなものである。
単品で読んでも、よくわからないと思うので、まずは以下のリンク先の記事を読んでからにしてほしい。
とにかく、女性とのデートにはお金がかかるのである。
気兼ねなくデートに誘うためにはお金をたくさん稼がなければならない。
しかし、どうやって?
ということをこの記事では補足していく。
資本主義は商品の集合である
まず、私たちは資本主義の中でサラーリーマンないしは商売をやっているのだから「資本主義とは何か」ということをある程度理解している必要がある。
資本主義を最も正確に言語化したのはマルクス主義でおなじみのマルクスである。
共産主義革命を起こそう!と言い始めた一人である、『資本論』の著者、カール・マルクス。
「金持ち父さん貧乏父さん」もよい解説書ではあるのだが、入門編レベルでしっかりと踏み込めているとはいいがたい。
それはいいとして、マルクスは資本主義のことを「商品の集合」と表現した。
そして、「商品の交換によって成り立っている」とも言った。
その中でも「お金」というのは交換の媒介に特化した商品という位置づけである。
つまり、それ自体に価値があるわけではなく、交換の基準となる役割があるだけである。
このお金に対する説明も、実際の使われ方と全く矛盾がない。
「商品」の最小単位は「労働力」
ここで、勘の良い読者は思ったかもしれない。
「商売人でない人は商品を持っていないから、資本主義の中に入り込めないのでは?」
確かに、はじめに何か商品を持っていないと「お金」が手に入らず、他の商品を手に入れるのもままならない。
実は、そこは心配しなくてよい。
「商品」の最小単位は「労働力」だからだ。
バイトにしろ、正社員にしろ、何かしらの商品・サービスを売っていない人は労働力(≒時間)を売ってお金を得ているのだ。
労働力の価格の決まり方
気になるのが労働力の価格である。
労働力は、一日働いたら自分の中から失われている。
つまり、疲れているのでそれ以上働いても使い物にならない状態である。
ただし、これは失われたままではなく、ご飯を食べて寝れば回復する。
規律、という意味では服装も重要な労働の要素である。
労働力を商品と考え、自分の体を「労働力を生み出す工場」と考えると、ご飯と寝る場所と衣服は「工場の必要経費」と考えることができる。
逆に言うと、これがなければ労働力は生み出されない、又は不良品である。
つまり、最低限この経費が職場から支払われていると考えられる。
(払わないと、人が辞めていくか使い物にならない人しか残らないため)
若者よりもおっさんのほうが給料が高いのは、生物として回復力が乏しい関係上、高い経費が掛かるからだ。
バイトよりも正社員の給料が高いのも同じように説明できる。
バイトをしている多くの人は、生活を維持するお金は他から得ているため、経費を満額支払わなくても働いてくれるから安い。
一方、正社員は8時間しっかり働いてへとへとになっている上、家に養うべき家族がいると想定されているのでそれなりにもらえる。
職業によって給料が変わるのは、回復にものすごくお金がかかるため、もしくは職に就くために多額の先行投資が必要であるため(例:医者はたくさん勉強する必要がある=教育費がたくさんかかっている)である。
それなりに合理的な理由がある。
サラリーマンは自由に使えるお金が少ない
上記のように考えると、労働力とお金を交換しているサラリーマンは自由に使えるお金は基本的には手にできない。
もちろん、遊ぶためのお金を一切与えないと、体力は回復しても精神が保てなくなるので、多少はもらえる。
しかし、女性とデートに行きまくることは想定されていないため、その分のお金は足りないということになる。
残業すればお金は手に入るものの、残業した分の体力を回復する必要があるため、結局は変わらない。
つまり、労働力のみを商品として資本主義で戦っている限り、余分に使えるお金というのは手に入れることができないのだ。
結論
サラリーマンとして労働力を会社に売ってお金を得る、というのはとても割のいいビジネスである。
そのお金でそこそこ不自由なく暮らすことはできるものの、会社および社会が想定している以上にお金を使うことはできない。
非モテから抜け出すためにデートをしまくる、ということはできないのだ。
資本主義という仕組みの中で戦っている以上、このルールを変えることはできない。
そのため、デートをしまくるためには、労働力以外の商品を売るビジネスをやらねばならない。
そこで、私がおすすめしているのが、せどり(≒海外買い付け転売)である。
詳しくは以下の記事を参考にされたい。
おはり
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