映画 『マトリックス』から学ぶ、ネット社会の弊害

マトリックス お金

「これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青い薬を飲めば、お話は終わる。君はベッドで目を覚ます。好きなようにすればいい。赤い薬を飲めば、君は不思議の国にとどまり、私がウサギの穴の奥底を見せてあげよう」

映画 『Matrix』(1999)

言わずと知れた、映画 マトリックスの名シーンである。

主人公のネオが、モーフィアスから世界の真実を知るか、知らずに生き続けるかの選択を迫られるシーンである。

現実世界であると思っていた世界は、コンピューターが人間の脳に送り込んでいたデータの一部に過ぎず、本当の世界は機械が人間を電池として栽培していたのだ。

モーフィアスは言う。
「誰でも目覚めさせるわけではない。目覚めさせた何人かは気が狂って死んでしまった。」

つまり、真実を直視して耐えることができる人間はごく一部であるという設定だ。

赤いカプセルと青いカプセル

真実を知るほうが幸せか、知らないほうが幸せなのかは一概には言えない。

しかし、映画の中では赤いカプセルか青いカプセルかという選択をすることができるシーンがある。

割としっかりと、絶望があることを伝えられたうえで真実を知るので、ショックは幾分和らぐと考えられる。

知りたくなければ、知らずにいるという選択もできる。

ネット社会の弊害

翻って、21世紀を考えてみよう。

インターネットが発達したことによって、超高速で情報がやり取りされるようになった。

そして、以前は知るはずがなかったまたは、知る必要がなかった情報にまでアクセスできるようになってしまった。

SNSの発達によって(嘘か本当かはおいておいて)ものすごく幸せそうな人々が嫌でも目に入ってくる。
自分より優れている人が死ぬほどたくさんいる。
このような知る必要のなかったことを知れるようになった。

つまりこれは、選択を迫られた覚えがないのに知らず知らず赤いカプセルを飲まされてしまっている状態なのだ。

映画の世界であれば、赤い薬を飲んでしまったら気が狂って死んでしまっていたような人々は、周囲の同じような人を集めて、自分たちの認識こそが正しいといい始めた。

これが、ポリティカルコレクトネスの端緒であると私は考えている。

つながり過ぎることは良いことではない

インターネットによって、SNSによってつながりが生まれることによってよい化学変化がたくさん生まれる、と考えられ、実際に初期のころは生まれたので発展してきた。

しかしながら、人類の長い歴史上、100人以上の集団で生活してきたのはごくごく最近の話である。

つながればつながるほど、つながりそれ自体に割くリソースが増えていき、自分のことをどうにかする力は残らない。
周囲を気にする労力で1日が終わってしまうのだ。

すると、つながり過ぎたことによって不幸だと思い込んでいた、実際にはそこそこ恵まれた生活をしていた人は、実際に不幸になっていってしまうのだ。

ネットから距離を置こう

映画においては、真実を知るかどうかの選択はたったの一度だけであった。
現実には、知るべきことと知る必要のないことが混在している。

真実の数だけカプセルも存在する。

自分が生きていくうえで本当に必要な真実のみを手にし、不要な真実は青いカプセルを飲むということもできる。

それをするためには、主体的でない情報の海であるSNSと距離をとればいいだけである。

すぐにSNSとの距離を置こう。

おはり

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