「非モテ」は男女平等主義。「モテ男」は昭和的男尊女卑主義。

非モテ体験記

本音と建前は使い分けなければならない
本音だけで生きていたら、周りから人が消えてしまうが、建前だけで生きていると息苦しい。

文脈によって使い分けるのが賢く生きていくコツであるが、モテに関しても同じである。

女性が優しい男が好き、と言っているのを聞いたことがないだろうか。

優しいってなんだ?と疑問に思わない人は、性欲に目がくらんでいるので、今すぐセックスしてきてほしい。

男女平等型非モテ

いまどき、男尊女卑っぽい言動をしている人はひんしゅくを買う。
どんなに顔がかっこよくても、その思想ではじかれてしまう悲しい世の中である。

男女平等を見につけていない人はヤバい!みたいな空気は高校生のころからずーっとあった。
それを身に着けて完璧に行動すればモテるのではないか?と。

その日から私は、男の友達に接するように女子に接した。
むちゃくちゃ罵り合う、バカすぎることで大笑いする、困っていてもあからさまに助けずこっそり助ける(気恥ずかしいので)、嫌なものは嫌だとはっきり言う。

などなど。
何をしたのかははっきりとは覚えていないが、男同士なんてこんなもんだろう。

誰にでも平等に。
悲しんでいるときは寄り添う(優しく接する)のではなく、笑い話にする。

まさに男女平等の世界だ。
誰しもが「個」として独立しており、誰かが特別というわけでもない。
数学がものすごくできるやつがいれば、とんでもなく足が速い奴もいる。

何かしらの特技を持っていることを認め合った、個人同士という接し方が男女平等の世界だと思っていた。

しかし、モテのチャンスは一切訪れなかった。

それどころか、女性を明らかに甘やかしているような奴のほうがモテる。

何なんだ、と思いながら一人オナニーに耽るのであった。

この事例の問題点

この事例の問題点は、女性の言葉を真に受けてしまったことである。

女性がウソつきだとか、そういうことではなくて、理性では「男女平等の世の中がよい」と感じていても、実際に男女平等の感じで接されると冷めるのだ。

男女平等を絵にかいたような接し方をされると、女性の本能が機械的に非モテだと判断するのだ。

これは、誰かがどうにかして、変わるものではない。
進化によって定められたものであるからだ。

ただし、はじめに言ったようにあからさまに男尊女卑のような行動をしてしまうと、モテ・非モテ関係なく「社会的に嫌われる」
理性の時点ではじかれてしまう。

ではどうすればいいのか。

心の中に昭和男児を飼え

表面的には、令和男子もとい「男らしさ2.0」を兼ね備えた男子であるかのようにふるまうのが良い。

一方で、女性を異性としてみてかかわりを持つ際には、しっかりと男尊女卑の心を持って接するのが良い。

飯ぐらい奢るし、落ち込んでいるときは同情するふりをするし、セックスしたいと代わりに言ってあげ、求められたから体を許しただけである形にしてあげる。

恋愛においては女性は何もできない、か弱い存在なのだ。

男が守ってやらねばならない。
男がリードしなければならない。
男が女性の代わりに死ななければならない。

そんな、昭和的な男くささを持っている必要があるのだ。
心の中にだけ。

結論

男は、建前では男女平等の社会を目指していなければならない。
少しでも、男尊女卑のような思想を表に出してはならない。

そのとたんに袋叩きに合う。

その代わりに、心まで男女平等に染まってはならない
そんなことをしては、非モテの始まりだ。

女性はか弱い存在、男が守らなけれ何らないものということを要所要所でにおわせるべし。

おはり

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