今回は、誰しもが経験あるであろう「気になる人と話しているときに恥ずかしがってしまう」型の非モテ体験記について記述していく。
結論としてはこれも自意識過剰非モテの一種ではあるのだが、具体的にどこが問題なのかというところまで考えながら読んでいただければと思う。
対話時赤面非モテ
中学の時である。
それほど人気があるわけでもないが、個人的にはかわいいと思って気になっている子がいた。
初期のころは何も意識しておらず、中学生っぽい世間話をたまにする程度の仲であった。
しかし、なにかがあって学校で泣いているところを見てしまい、それが妙にかわいくてその日からかなり意識するようになってしまった。
余談ではあるが、小学生が好きな子に意地悪をして泣きべそをかかせようとするのは、泣き顔が性行為をしているときの耐えている顔と近いから、本能的にそれを求めているという説もある。
まあ、そんなこんなでその日からは話すときも顔をまともに見られなくなってしまい、話はできるものの以前ほど盛り上がることもなくなった。
これで終われば、ただの恥ずかしがっていた少年の話なのだが現実はそんな甘くはない。
ある日、その子から頼みごとをされるようになったのだ。
初めは小さなことだったように思う。
シャーペン貸してとか、消しゴム貸してとかその程度の。
ただ、次第にその頼み事はエスカレートしていき本来私が必要ない場所にまで駆り出されるようになったのだ。物を運んでなど。
はじめは確かに頼られている感じがして、話さずとも同じ空間にいられるだけで幸せな感じはしていたものの、ただ使われているだけなのではないかと疑念を抱いた。
気づいた次の機会から、何かと理由を付けて自分が動かなければならないものは断っていった。
すると、用無しと思われたのか、関りはすっぱりと無くなってしまった。
本当にただ使われていただけだったのだ。
この事例の問題点
大きく2つある。
1、自意識過剰であるところ
2、男性側から好意を向けてしまったこと
2点について詳しく説明していく。
自意識過剰であるところ
話しかけられて顔を赤らめるなどというのは自意識過剰もいいところである。
女性側がどう思っているかはともかくとして、自分が話していることに気恥ずかしさや後ろめたさがあるから緊張し、顔が赤くなる。
女性の認知はひどいもので、友達と利害関係者、自分が気になっている人以外は神社の砂利くらいに思っている。
にもかかわらず、顔を赤らめるというのは自意識過剰に他ならない。
女性側からすれば、石ころ風情が感情持ってキモいくらいにしか感じられない。
今後何度も自意識過剰の話は出てくるであろうが、「非モテ」がなくすべきがこの自意識過剰なのである。重要なので、何度も出てくる。
自意識過剰の克服は難しいことではあるが、視界が広がるのでぜひ意識してほしいことである。
男性側から好意を向けてしまうこと
よく、男性側からアタックしていくのが礼儀だ、というような考え方を持った人がいる。
これは半分正解、半分不正解だと考えている。
女性の気になるリストに入れてもらうために、男性側からアプローチしなければならないということで言えば、正解である。
特に、日本であれば女性がかなり受け身であるので。
ただ、その際に男性側から好意を向けるのはよくない。
積極的なアプローチが急に非モテからの嫌な絡みに格下げされる。
いろいろな説明のされ方があるが、一番は女性性の価値は男性性に比べて圧倒的に高いということである。
この、好意を向けないというのは大変に難しいもので、どれだけの手練れでも気を抜くと顔を出すことがあるらしい。
非モテの時分には完全に克服することは不可能なので、こういうことがあるんだということを頭の片隅に入れておけばよいと思う。
結論
今回の体験談でわかったと思うが、非モテはかなりひどい扱いを受ける。
知らず知らずのうちに奴隷のようになっていることもある。
気づかずにいると、少量の承認欲求(→気になることから頼られている)だけで自分の時間を無限にとられることになるのだ。
ましてや、それを誰かに訴えたところで救われるわけもない。
非モテから抜け出すしか方法はないのだ。
おはり
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